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「無色透明な主将」
私の自宅から、自転車で10分の距離にある東福岡高等学校。
当然取材の為に来るグラウンドには、数え切れないほど来た事はあるが、今回初めて校舎の中に
お邪魔させていただいた。
初めて入る学校内。いつもお世話になっている、サッカー部部長の田口さんに案内され、
廊下を歩いていると、サッカー部だけではなく、ラグビー部や野球部、全国で輝かしい成績を残す、
様々な部の優勝トロフィーや賞状などが、これでもかと言うくらい飾られていた。

通された部屋で、午後の授業が終わるのを待っていると、そこに今回インタビューをお願いした
中村拓也選手が、普段の赤いユニフォームではなく、見慣れない黒い学生服で現れた。
2011年の岩田淳司主将から始まった、東福岡サッカー部との関係の中、空いた時期もあったが、
色んなタイプの主将に会って来た。しかし中村拓也選手は、今までの誰とも違う、柔らかな雰囲気を放ち、
決して自己主張を見せない、初めて会うタイプの主将だった。
しかしピッチ上の彼は、チームには欠かせない程の存在感を放ち、2列目でもアンカーでも、
必ずボールは彼を経由し、攻守において中心の選手だった。

そんな、普段とピッチ上のギャップを持つ彼に興味があり、沢山の質問をぶつけてみたが、
もうこれで会えないのが寂しいと感じるくらい、饒舌に話してくれ、また新しい一面を最後に見せて
くれた。
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〜みんなと練習が出来ない寂しさ〜
Q 選手権で敗退が決まって、高校サッカーの生活が終わった時、どんな心境でしたか?
「選手権負けて、最初は終わったっていう感じはしなかったんですけど、日が経つにつれて、
練習とかもみんなとする事が無くなったので、寂しいなぁっていう、悔しい気持ちでした」

Q 東福岡での3年間は、どうでしたか? 
「中学の時よりも充実していた3年間でした。ここに来て1年生の時に『レベルが高いなぁ』と、
自分は感じたんですけど、自分が3年生になった時に、試合に出ているって事を、その時は想像
出来ませんでした」
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Q 最終学年で挑んだ、選手権の福岡県大会。今振り返っていかがでしたか?
「6年連続選手権大会に出場というプレッシャーもあって、自分達は2回戦からの戦いでしたけど、
ちょっと入りが固くて、なかなかシュートまで持って行けず、ギリギリPK戦で勝った勝利と、
初戦から苦しい戦いが続いた予選だったと思います」

Q その予選での戦いで、印象に残っている試合は?
「準決勝の東海大学福岡戦は、先に先制されましたし、その後同点に追いついた後に、すぐ逆転も
されたんですけど、早い時間帯に再度同点、そして逆転と良い試合で勝てたのが、一番印象に残って
いますね」

Q 逆に、一番きつかった試合は?
「高稜戦ですかね。自分のミスから失点に繋がって、それも後半残り10分くらいだったんで、
これはヤバイかなって思いました」

Q 浦和南戦から全国大会での戦いが始まりました。チームの雰囲気はどうでしたか?
「みんなリラックスしていて、1回戦でも固くならずに入れたので、4−0という結果が出せたと
思っています」

Q そして、尚志戦です。 
「相手は自分達のサッカーを研究して来て、前からプレスも上手くはめられて、前線のパスコースを
消されていました。フォーワードにボールが入っても、その次のサイドだったり、シャドーだったり
の次の動きが無くて、なかなかシュートまで行けなかった。自分達らしいサッカーが、出来なかったですね」

Q 追い掛ける展開になって、主将として何か話しましたか?
「前半の内に失点したんですけど、そこは切り替えて。自分達で点を取りに行かないと、負けてしまう
。相手は前から来ていたので、受け身にならずに、自分達も前から行こうという姿勢は、伝えていました」

Q 2点目が、痛かったですね。
「そうですね。1失点してから、自分達が前々になり過ぎてしまって、残りまだ30分、20分
ある中、もっと繋いでも良かったかなと。早くパワープレーに、なってしまったかなって思います」

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〜辛抱強く戦えばチャンスはある〜
Q プレミアリーグは、どんな戦いの場でしたか?
「Jのユースチームと戦って、もちろんパス回しだったり、そういう部分で相手の方が全然上手い
です。そこは見習いながら、フィジカルの部分では負けない様に。あとはゲームの終わらせ方。
自分達は得点は取っているんですけど、最後に追いつかれてしまって引き分けとか、逆転負けとか。
そういう所は、Jのチームは出来ていたので、学ばせて貰いました」

Q 今後東福岡がプレミアで優勝する為には、どんな事が必要ですか? 
「得点力はあると思うので、守備の部分でどれだけ守れるか。自分達はカウンターとかで、得点する
事が多かったんですけど、そこで辛抱強く守って、1点取ってゼロで抑えるっていう戦いが出来れば、
必ずいつか優勝出来ると思います」

Q 高校へ上がる時、ここ東福岡を進もうと思ったキッカケは? 
「自分が中学3年生の時に、同じ熊本出身で同じチームだった3つ上の中村健人選手の代が、
夏冬2冠を獲ったのを見て、東福岡でサッカーをしたいと思い、ここへ来ました」

Q 多くのライバルの中で、不安とかは無かったですか?
「もちろんありましたし、先の事も想像出来なかった。でも、そこで成長したいっていう想いで
入ったので、今は、十分成長する事が出来たと思います」

Q 東福岡の3年間、個人でやり続けていた事はありますか?
「1年生の時は運動量とか少なくて、試合中もサボりがちだった。練習の時から、走る量とかを
意識しながらやって行きました。得意のキックとかも、フリーの時間とかを見つけては、やり続けて
はいました」

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〜「1人には絞れません(笑)」〜
Q キャプテンは、最初は決まっていなかったという話は本当?
「はい、そうです。とりあえず、暫定的に自分になったっていう感じでしたし、いつ正式になったの
かも分かんない感じです(笑)」

Q チームをまとめるのに、意識してやった事は? 
「自分では、そんなにリーダーシップがある方とは思っていなかった。でも自分がやるしかないと
思ってやって、1人1人個性が強いんで、意見が合わない事もありました。
そこは、みんなとコミュニケーションを取りながら、合わしたりとか、意識しながらやっていました」

Q 個性の強い面々でしたが、誰が一番やんちゃでした?
「みんな、やんちゃでしたよ。1人には絞れません(笑)」

Q 3年間指導して下さった、志波芳則総監督、森重潤也監督に言われた言葉で印象に残っているのは?
「志波先生は『これ位で良いだろうっていうプレーはするな』っていう言葉が一番残っています。
『相手より一歩でも早く』っていう言葉も、印象に残っています。
森重さんも『これ位で良いだろうっていうプレーはするな』っていう言葉は、必ず試合前にみんなに
伝えていたので、その言葉がやっぱり一番ですね」

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〜伸び伸びとやれた3年間〜
Q 東福岡で3年間過ごして、改めて良かった点は?
「部員300人居て、色んな人とコミュニケーションが取れたり、層も厚いので。良い選手が
いっぱい居るから、その中でお互い高めあえたので、自分のレベルアップに繋げられましたね」

Q 最後に、キャプテンとして伝えたい事は?
「みんなと頑張れて、良かったです」

Q プロの世界に行く、中村拓海選手(FC東京)、福田翔生(FC今治)に、何かエールはありますか? 
「厳しい世界だと思うけど、それでも自分を出して、頑張って欲しいなぁと思います」

Q 今後の進路は?
「プロを目指して、大阪の大学で、サッカーを続けようと思います」

Q 最後に、3年間お世話になった方々にメッセージをお願いします。
「東福岡の指導者、関係者の皆さんには、本当に感謝しています。練習の時から、自分達のレベル
アップの為に指導して下さって、本当にありがとうございます。
家族には、熊本から福岡に出させてもらって、3年間頑張れって背中押してくれて、自分も伸び伸び
とプレーや生活が出来たので、感謝しています」

Q 後輩達にも、メッセージを。
「そんなにプレッシャーを背負わずに、自分達らしいサッカーをやって、全国の天辺目指して、
やって欲しいなって思います」
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(取材日 2019年1月24日  @東福岡高等学校)